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チェンジ ザ コミュニケーション ~多様性を楽しむコンフリクト・マネジメント

2010年8月28日 03:36

第76回 ネイティブ・アメリカンの知恵

先週は緑豊かな修善寺で、某外資系企業の合宿研修をし、今はこの原稿を赤茶けた土に潅木が茂っているアルバカーキの友人ジャッキー宅で書いている鈴木有香です。西部劇の中にいる非現実感の中で呼吸している感じです。

某外資系企業で依頼された研修はマネージャー研修と全社員の一体感をもたらすためのチーム・ビルディングでした。リーダーシップというと、ピラミッド型の序列の中で、上のレベルの人が下の人を指導し、育成するといった西欧型のリーダーシップ像が私たちの中に定着していると思います。ただ、私がデザインしたプログラムは「結果」より「対話」のプロセスを重視し、調和的な合意形成や人々の多角的かつ肯定的な側面を発見しあうしかけを組み込んだものでした。

そんな研修での一仕事を終え、飛行機に乗って、ニューメキシコについたのです。昨日、文化人類学者のジャッキーの案内でプエブロ・インディアンの遺跡を巡りながらネイティブ・アメリカンのリーダーシップや伝統的意思決定のシステムの解説を受けていると、今、必要とされる集団の調和、ダイアローグ(対話)、構成主義の要素がしっかりと具現化されていたことを知りました。

まず、ネイティブ・アメリカンは集合的リーダーシップを取っています。ピラミッド型ではありません。例えば、コマンチ族の中にある各氏族はそれぞれに専門分野をもち、部族の生活に必要な役割を果たしています。専門分野としては、薬草、狩、戦い、子育て等と別れ、それぞれが同一の地位を持っています。そして、部族の中での問題があると、それぞれの氏族のメンバーが円形に集まり納得のいくまで話し合うそうです。話し合う順番は決まっていますが、基本的ルールは①人の話は割り込まないで最後まで聞く、②その話に関しての質問は問題を明確化し、掘り下げる質問のみで、相手に議論をふっかけるような質問はしない。③それぞれに語られることは発言者にとっては真実であり、聞き手は発言者からの視点を理解するよう努める。

ちょっと、今流行の「ワールド・カフェ」のエチケットのようですね。重要なことは部族にとっての問題をそれぞれの専門分野の人の話を全部聞き、それぞれの観点を尊重して、みんなで合意を作り上げる「対話」と知恵の「構築」がなされるシステムがあったことです。そこにはディベートや勝ち負けにこだわる議論が存在しないということです。

また、ネイティブ・インディアンにとって重要なことはポジティブな気持ちでポジティブに共同体に参加する、貢献するということでした。この点は "Appreciative Inquiry (AI)"に類似しているというか、AIや構成主義というものはそもそもネイティブ・アメリカンにとっては普通にあったことで、それを現代人が再発見したといってもよいのかもしれません。

一人のリーダーが集団を指導し、引っ張るのではなく、集団に属するメンバー一人ひとりが信頼しあい、率直に語り合え、関係性が築かれることを組織や上司がアシストするという観点からでは伝統的なネイティブ・アメリカンの組織のあり方というものが参考になるかもしれません。

ジャッキーは日本の農耕社会の共同体にも同様なシステムがあり、そうしたものが現代においてもっと見直されることが重要だといっています。

2010年8月21日 04:57

第75回 ローリスク・ハイリターン

正直言って、ただひたすらに歩いたり、走ったりするスポーツは嫌いな鈴木有香です。子どものころから、体重が大目の私としては、一心に走ったり、山を登っている時は、風景をみる余裕もなく、自分の呼吸の苦しさだけを感じるだけだったように思います。学校の遠足で山登りなんてすると、みんなのペースに合わせるのに必死で、何が楽しいのだかわかりませんでした。

そんな私が4年ぶりに連絡を取ってきた友人に誘われ、いきなり先週、裏磐梯のほうに行きました。職場、キャリア、家庭など、様々な問題で暫く落ち込んでいたそうですが、そろそろ人生を前向きに歩もうと言う決意に至り、そのためのエネルギー補充のために、緑の中の癒しを求める旅の同行者に私は選ばれたらしいのです。

「ちょっと、緑の中で癒されたいし、軽いハイキングもしたい・・・・。」という友人。

そう、この山登り好きの友人の「ちょっと、軽いハイキングしよう。」と言うのは危険です。以前、誘われたとき、私は高尾山レベル(もちろん、ケーブルカーに乗るつもり)の山と思い、平たい歩きやすいサンダルで行ったら、友人はしっかり登山靴を履いていました。友人の予備の登山靴を借りて登ったはいいが、30分急な山道を歩くと、私は息絶え絶えになり、挫折したという過去があります。

「大丈夫、有香ちゃんのために軽いコース選んだから。」

「ホント、信じていい?」

それで行きましたよ。「雄国せせらぎ深勝路」、とりあえず、マイ・スニーカーを用意して!

やや呼吸が上がることもありましたが、山道は木々が夏の強い日差しをやわらげ、何本かの湧き水のせせらぎの音を楽しみました。それでも、友人は私の50メートル先をゆうゆう歩き、私は必死についていく感じです。

「大丈夫!これは軽いコースだから・・・。」と何度も自分に言い聞かせながら、ゆっくりと小さな岩がゴツゴツしたやや急な傾斜の坂道も登りました。所々、私のペースに合わせて登ってくれる友人と話をしながら登れたし、吐きそうなほど苦しくもなかったのですが、目的地までの最後の道のりはきつかったです。急な坂道が、これでもかというくらい続いたのです。でも、登りきって、背の高い夏草の小径をでると、ドーンと私の目の前に青い大きな沼と湿原が広がりました。

深い青い沼が一面に広がり、その向こうに薄墨で描いたような山脈が連なっています。沼にはうっすらと薄い霧がありました。私はその広がる風景に魅了されました。ただ、ただ、静かに青い水面が私に両腕を広げて待っていたかのように見えました。そして、何か澄んだ空気が私を包むような感覚がありました。

「なんて美しいのだろう!」

ひんやりとした静寂さに包まれるために、神秘的な空気を吸い込むために私はいるのか・・・・。

今まで、山登りの苦労以上に、登った後の景色が美しかったという記憶はあまりないのですが、このときばかりは、登り道の苦労を差し引いてもお釣りがくるような美しさでした。

「うーん、これはすごい報いだよ。これこそ、ローリスク・ハイリターンとでも言うか!」と、興ざめな経済用語を使ってしまった私です。

後で、このトレッキング・コースを調べると、「中級コース」と書いてあり、やはり友人の言う「軽いハイキング」というのは私の想像のレベルを超えていましたが、大自然に囲まれた実感は大きな癒しになり、清浄なエネルギーを私にくれたようです。

翌日、東京で仕事のためにあった同僚が「どうしたの?何かこう澄みわたった晴れ晴れとした雰囲気になっているけど。」と私のあり方(being)の変化にすぐ気がついたくらいでしたから。

2010年8月14日 04:44

第74回 落ちこぼれゆかぴー

将来の独居老人候補 鈴木有香です。そんな悟りを開きながら、マンション購入を決意してから、自分の無能さ、無知に日々気づきを深めている日々です。引越し、リフォームなどに直面し、聞こえてくる日本語の単語が知っているようで、実は全くわからない、もしくは明確なイメージがなく、自分が何をすべきかわからない、霧にかかった状態なのです。

幸運にも親切な売主さんに恵まれ、快く物件の引渡し前にリフォームのために、部屋を見にいく機会がありました。仲介をとってくれたドラえもんチックな心優しい不動産屋さんとリフォーム会社の人を伴いつつ、無能ゆえに自己決定能力を欠いた私は、素敵なインテリアと美的センスにこだわる友人Kさんを前面に立ててその場に臨みました。

「うーん、この和室の部分をフローリングにして、リビングと一体感をもたせ、パーテンションをXXXXにするのはどうでしょうかね。」と、リフォームに一家言のあるドラえもん不動産屋さんが言います。
「あ、それ、素敵ですね。」とKさん、すかさず、応対します。
リフォーム屋さん「・・・・(会話の意味を把握して、そのリフォームが可能かどうか、構造をチェックしながら、黙々と採寸し出す。)」
私、「・・・・・・・・・、(キョトンとした表情で固まる)。」

なぜかというと、下線部の文章の意味がつかめないのです。単語はわかるけど、そのイメージが全くできない。あげくにXXXXという単語は初めて聞いた日本語なので、何を意味するかわからない。結果、会話の内容についていけず、反応ができない状態なのです。

一方、Kさんは、一瞬で不動産屋さんのいうことの意味を飲み込み、すぐにその意図するところとイメージをつかみ、応対できるのです。

この状況は、まさに高校の時の数学の時間と同じです。先生の数式の説明を聞いて、意味を追おうとしているのに、追いきれない状態。5段階評価でどんなに努力しても「2」しかとれない授業で、落ちこぼれていく私と重なります。

数学教師「虚数i は二乗すると-1になるのだよ。」
女子高生ゆかぴの頭の中「どうして、嘘の数があるの? 嘘の数同士を掛けると,-1で、嘘の数じゃないのはなぜ????」

考えているうちに、先生は方程式の説明に入っていて、それは私の耳には「音声」が入るだけで、意味のある言葉として聞こえないのです。大いなる無力感が私を包み込みます。

洗面所、リビング、キッチン、書斎コーナー、収納、様々な場所について、活発なブレーン・ストーミングがリフォーム屋さん、不動産屋さん、Kさん、売主さんの間で展開されます。皆さんが私のために、それぞれの観点から建設的提案をしているのは雰囲気として私は理解できるのですが、内容の詳細がわからず、オタオタしている状態が続きました。

ただ、数学の授業と違うのは、「落ちこぼれの私」のために、みなさんが良かれと思って、協力し合い私のためのベストを作り上げてくださるチームになっていたことです。私が質問すれば、必ず誰かが、ていねいな説明や新たな提案をしてくれます。とにかく、私にとってはリフォームも内装も苦手な話題だけど、でも当事者として頑張らねばという気持ちは強まったようにも思います。

そんな時間の中で、私は以下のことに気がつきました。
1) 自分の専門、得意分野以外の言葉は単語の意味の把握が難しい。
2) 自分の専門、得意分野以外の言葉や手順の説明を把握するのには時間がかかり、記憶に残りにくい。
3) かつ、ある一定の情報量を超えると、対処できなくなる。
ひぇー、私の授業を受ける学生や受講生も同じ思いをしていないだろうか!!!
でも・・・・
4)いつでも質問していい雰囲気、否定されない状態にいると、無意味に卑屈にならず、周囲の人々の暖かさに感謝し、その人々を信頼したい、そして自分自身も頑張りたいという思いが「落ちこぼれ」に維持される。

今日一日、教育者としての原点を思いっきり復習できたように思います。
みなさん、ありがとうございました!!

2010年8月 7日 01:48

第73回 生身の人間の絆

 あなたは上司の自宅のペンキ塗りを手伝ってくれないかと依頼されました。どうしようかと思い、同僚に相談すると・・・・
同僚A「上司は職場での関係だし、会社以外のことは関係ないよ。手伝いたくなければ手伝うことはないよ。」
同僚B「職場の外のことといっても、まあ人間関係は無視できないし、とりあえず、手伝うほうがいいんじゃないかと思う。」

あなたは同僚Aと同僚Bのどちらの意見に賛成でしょうか?

この問いに関しては、世代差よりも、首都圏と近畿圏で答えが違うように感じます。東京人の答えは圧倒的にAが多く、「職場とプライベートは分ける」という発想です。一方、近畿では20代から70代くらいまでの人に聞いても、同僚Bの意見に軍配があがります。先日、関西大学の大学院生にも尋ねたのですが、過半数はやはり同僚Bの意見でした。つまり、「仕事とプライベートな人間関係の領域があいまいである」と考えます。

私見ですが、伝統的には日本では、そんなに簡単に「職場とプライベートは分けられる」ということはなかったと思います。社宅、家族参加もするような会社のイベント(運動会など)、職場とプライベートな領域そのものが曖昧な空間、イベントが数多くあったように思います。私自身も子どものころ、父の勤務先の社宅に住み、運動会や山登り、スキーなど父の職場のイベントにいった覚えがあります。ですから、引越しなど家族だけでは大変な時は、父の職場の人が手伝いに何人も来てくださったようにも思います。宅急便、引越しサービスなどが発達していない時は、そうした地縁でもなく、血縁でもない、「職縁」が都会の核家族を支えた側面もあったと思います。

今では、「縁」を頼らなくても、「金銭」を使えば、多くのサービスを受けられるので、いざというときの協力のための人間関係維持の必要性が下がってきているのかもしれません。また、どこかしら、過干渉は「おせっかい」のようで、できるだけ、「相手のプライバシーを尊重する」という理由で、相手と関わらないことを正当化している部分もあるかもしれません。

今週は足立区で東京都最高齢の男性が実は30余年前に死亡していた事件を皮切りに、全国で所在不明のお年寄りが71名(8月5日現在)いることがわかったそうです。年金の不正受給の問題などで取り上げられがちですが、それ以上に私は「家族」という従来の共通認識が崩れている事実を突きつけられているように思いました。

消えた老人のパターンとしては「独居を機会に連絡が途絶えた。」、「徘徊して行方不明に」というのが多いそうです。核家族化の弊害ともいえますが、同時に隣に住んでいる人が誰だかわからないのが普通になってきた「地域共同体」の崩壊でもあると思いました。地縁、血縁、職縁、なんでもいい、ちょっとした「おせっかい」が今こそ必要になっているように思えます。今、生身の人間の絆が薄れていることの闇が広がりつつあるように思いました。金銭で測れない何か重要なものが確かに崩壊する音が響いているように思います。

参考文献:『異文化の波』白桃書房

2010年7月31日 05:15

第72回 ホイット、ホイット!

子どもの頃、「わっしょい、わっしょい」と言いながら、炎天下で子ども神輿を担ぎ、通りのオバちゃんたちから、水をかけてもらうのが楽しみだった鈴木有香です。ところが、ここ数年、地元の大人神輿の掛け声は「ソイヤ、ソイヤ」になっています。それでも、町内会ごとにあしらったハッピの大胆な柄、威勢の良さ、お神輿が大きく揺れるさまは、人口減少、担ぎ手の高齢化があっても、同じように思われます。大人神輿の担ぎ手に女性が出てきているのもここ20年の特徴だと思います。

しかし、祇園祭の還幸祭のお神輿は月明かりの中でした。そこで、私の「祭り」の常識が狭い東京下町を規準にしていたことに気がつかされました。
還幸祭では、お神輿は夕方に氏子町内を巡り、八坂神社に夜10時過ぎに戻ります。お神輿に先立って、平安時代の白い着物を着た人の行列があり、その行列の中に馬にのったお稚児さんがいました。(熱帯夜続きのせいか、かなりぐったりしていました。)通りの名前も牛若丸の時代のものが残っていて、お祭りに普通に平安装束が出てくる京都の人々には東夷の私に比べて「平安時代」が日常なのだろうかと思われました。

その行列のずっとあとにお神輿が登場します。大きさは浅草の三社祭りの神輿よりやや小さい感じですが、担ぐ棒は縦に伸びているだけで、横に伸びていませんでした。ハッピは白く、背には黒字で町内の文字があります。シンプルすぎる色使いにやや寂しさを感じるのが、色とりどり、イナセな柄の入ったハッピを見るのに慣れた私の目です。そして白いハッピ集団がお神輿を運んでいる。お神輿があまり揺れない!「威勢がない!」と思うか「これが雅」というか判断に困りました。

八坂神社の前で一同は仕切りなおして、お神輿を少し揺さぶる場面があったのですが・・・
「ホイット! ホイット!」という掛け声にビックリしました。「ニューヨークでは「Hoyto Street」がありましたが、日本語で「ホイット」があることすら、知りませんでした。なんと、和やかな響きではありませんか。

そして、白いハッピであれ、白い平安装束であれ、参加者はみな男性でした。神輿の担ぎ手が少なくなり、女性でも担ぎ手になれるようになった我が町内会とは違います。1000年以上の伝統が今に生きている感じがしました。また、合理性追求だけの今日にあって、1ヶ月をかけた神事を町内の方々が取り組み、町の人々がサポートしている姿も印象的でした。地域や共同体の崩壊が現代の問題になりますが、祭りが存続することが、共同体の結束性の維持であり、また、次世代への文化の継承がなされている姿がそこにありました。

江戸っ子の私は京都のお祭りにNY以上の「異文化」を感じつつ、祭りと言う共同作業、神事が人々の絆を固める大きな舞台装置のように見えました。大きな月の下で、合理性や経済優先の指標では測れない何か重要なものがそこにありました。

ところで、みなさんの地元の祭りの神輿の掛け声は何でしょうか? ご紹介ください!!

プロフィール
ニックネームさん
鈴木有香(ゆかぴー)
早稲田大学紛争交渉研究所客員研究員、桜美林大学・亜細亜大学非常勤講師。コロンビア大学にて修士号取得。米国諸大学講師を経て現職。一部上場企業(外資系含)でリーダーシップ研修等担当。 著書に「交渉とミディエーション」(三修社)など。早稲田総研インターナショナル「コンフリクト・マネジメント」講師。詳細:http://www.quonb.jp/service/management/index.html
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